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東京高等裁判所 平成5年(ネ)299号 判決

控訴人

甲山A夫

右訴訟代理人弁護士

松澤與市

被控訴人

乙川B雄

右訴訟代理人弁護士

小室貴司

主文

一  原判決を取り消す

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人の負担とする。

事実及び理由

一当事者の申立て

控訴人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は、控訴棄却の判決を求めた。

二 当事者の主張

当事者双方の主張は、以下のとおり付加ないし敷衍するほか、原判決の「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」記載のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人)

1  乙川C郎(以下「C郎」という。)は、以下の事実関係から明らかなとおり、自転車、バイクの修理・販売業の経営権を生前被控訴人に譲渡したことはなく、最後までC郎が事業の主体であったものであるから、本件の現金、預金も同人の遺産に属するものである。

(一)  C郎は、昭和三九年一一月一六日、道路運送車両法に規定する自動車分解整備事業者の認定を受け、爾来自動車分解整備事業を営んできた。そして、昭和五四年五月一二日、右自動車分解整備事業者の地位を同人から被控訴人に承継する旨の届出がされたことは確かであるが、右承継は、C郎死亡による相続を原因としてされたものであった。このような虚偽の届出がされたのは、被控訴人がC郎は経営者たる地位の譲渡を承認しないことを熟知していたため、譲渡を原因とする承継の届出を断念し、C郎に知れない方法として、相続を原因とする承継の届出をしたものと推定される(なお、相続による届出に当たっては、相続人全員の署名捺印した同意書を提示する必要があるが、被控訴人はこれを偽造したものと思われる。)。

(二)  C郎は、昭和五四年ころ、健康上の理由から経営者の地位を譲渡しなければならないような状態にはなかった。同人は、健康状態は上々で、昭和六一年一二月中旬ころまでは毎日店に出て仕事をしていたのであり、昭和六一年一二月中旬ころ発病した後も、入退院を繰り返しながら、店への顔出しを怠らなかったのであって、事業の経営権を被控訴人に譲る意思は全くなかったのである。

(三)  この点は、C郎の遺言公正証書の内容からも明らかである。遺言では、事業にとって欠くべからざる店舗を構成する土地、建物の所有権の相続に関しても、被控訴人を特に有利に扱っておらず、被控訴人とその息子の相続分を合わせても全体の八分の一を指定したにすぎない。右事実は、C郎が生前はもとより死後においても、事業の経営者たる地位を被控訴人に譲る意思がなかったことを示すものである。

(四)  昭和五四年分所得税青色申告決算書及び預金通帳等の名義もC郎名義のままであった。

(五)  被控訴人及び息子夫婦は給料を受け取っていたが、これは同人らがC郎の使用人であったことを示すものである。

2  仮に本件現金・預金が遺産でなかったとしても、以下のとおりの事情があるから、控訴人がこれを遺産として相続人らに配分したことには何らの過失もなく、同人の行為が不法行為を構成するものとはいえない。むしろ、以下のような従前の被控訴人の態度に照らすと、本件訴訟において本件現金・預金を遺産に含めて配分したことが不法行為に当たるなどと主張するのは、信義則に反するものである。

すなわち、被控訴人は、遺言執行者である控訴人に対し、「親父の残した金です。」といって現金及びC郎名義の預金通帳を任意に引渡し、その後、バイク等有体動産についてはその所有権を主張して引渡しを拒んだものの、本件現金・預金については遺産でない旨主張したことは一切なかった。なお、別件の商品引渡訴訟はあくまで有体動産の帰属を争ったもので、本件現金・預金の帰属が争われたものではない。そして、別件訴訟の判決後も、被控訴人は、本件現金・預金につき自己の所有権を主張して権利保全を図ろうとするなどの行動に出ようとしなかったし、控訴人が本件現金等の配分通知をした後も、被控訴人は特に保全策を講じなかったのである。

(被控訴人)

1  控訴人が本件現金等をC郎の遺産であったと主張することは、別件の商品引渡訴訟の確定判決自体の効力ないし判決の遮断効により許されない。控訴人は、別件訴訟において、右の点を主張し得たにもかかわらず事実上争わなかったのであり、かつ、別件訴訟では上告もしなかったのであるから、失権の効果を受けるべきである。

2  C郎は、被控訴人に対し、昭和五四年ころ、自転車、バイクの修理・販売業の経営者たる地位を譲渡した。

別件の商品引渡訴訟では、C郎が被控訴人に経営者たる地位を譲渡したことについては、控訴人は何ら争わなかったものである。

なお、C郎は引退して、自動車分解整備事業者たる地位を被控訴人に承継させたものであるが、そのような場合も「相続」を原因として届け出ることが認められている。

3  遺言執行者としては、別件訴訟で問題とされた商品が遺産に属していないのと同様、本件現金等も遺産でないことを理解し、速やかにかつ自発的に被控訴人にこれを返還すべきであった。しかるに、控訴人はそれを怠り、遺産に属すると誤って判断してこれを処分したのであるから、過失がある。

三 当裁判所の判断

関係証拠(≪証拠省略≫並びに原審における証人乙川D介、同丙谷E作並びに弁論の全趣旨)並びに当事者間に争いのない事実を総合すると、以下の事実が認められる。

1  被控訴人は、昭和二九年、C郎の三女と結婚し、同時にC郎と養子縁組を結び、以来同人所有の店舗兼居宅に同人と同居し、同人の営む自転車、バイクの修理・販売業(古くはa栄輪舎の名称を用い、その後はa1モータースの名称を用いて営業がされていた。ただし、法人格はない。)で共に働いてきた。そして、昭和五四年五月に、自動車分解整備事業者の地位を「相続」を理由にC郎から被控訴人に承継させる旨の届出がされた。そのころから、C郎は高齢のため入退院を繰り返すようになり、被控訴人が中心となって事業の切り盛りがされるようになった。損害保険代理店契約も被控訴人名義で締結されるようになった。しかし、昭和五四年以降も、C郎が事業主として所得税申告がされており、被控訴人には専従者給与が支払われる形がとられた。また、事業に使用していた預金口座の名義もC郎名義のものがそのまま利用された。また、昭和五四年ころ、C郎から被控訴人に、事業用の資産や営業権等を譲渡(贈与)する旨明示的に意思表示がされたわけでもなかった(≪証拠省略≫)。むしろ、C郎は、孫の丁沢F平(以下「F平」という。)の妻らに対し、昭和五九年ころ、自分が死んだらF平に店を譲渡する旨述べていた事実がある(≪証拠省略≫)。被控訴人側としても、生前にC郎から事業用資産等につき譲渡を受けると贈与税がかかるということもあり、相続の際に事業に関係する資産・権利の譲渡を受ける心づもりでいた節がある。それ故、後記のように、C郎の死亡当初、当然遺言で被控訴人又はF平が家業を承継できるように定められていると期待を持っていたのである(≪証拠省略≫)。

2  C郎は、昭和六二年五月一八日、同人の入院先の病院で遺言公正証書を作成して貰った。右遺言では、事業を営んでいた土地建物及び商品、什器備品、売掛債権その他一切の財産を被控訴人ほか相続人全員及び受遺者一名に一六分の三から一六分の一の割合で相続させるないし遺贈する(被控訴人及びその長男F平は各一六分の一あて相続する。)というものであり、控訴人は遺言執行者に指定された。

3  C郎は昭和六三年九月二四日死亡した。

4  そこで、控訴人は、同年九月二九日、C郎宅を訪問し、被控訴人やF平と面会して、控訴人がC郎の遺言執行者であることを明らかにするとともに、同人の遺産を明らかにするように求めた(≪証拠省略≫)。これに対し、被控訴人はF平と共に、店舗内にある商品の自転車、バイクなどに札を付けてメーカーからの預かり品と買い取った物とを区別して控訴人に示し、また、現金、預金等については後日整理して提出する旨述べた。

5  控訴人は同年一〇月一日、被控訴人を含む相続人全員を招集し、その席上で、改めて自分がC郎の遺言執行者であることを明らかにし、遺言執行の方法等を説明するとともに、C郎の財産を所有している者は提出するよう求めた。それに応じ、長女戊野G子から現金一六〇万円余が提出されたほか、被控訴人の息子のF平から、被控訴人の了解の下、控訴人に対し、C郎の財産として現金(四五万〇六二八円)及びC郎名義の預金通帳(残高合計二九五万五九四四円)が任意に提出された。そして、その際、被控訴人らから、自分達はC郎に事業用等のため約七〇〇万円を貸し付けている旨の説明がされた。なお、右時点で、控訴人から、被控訴人を含む相続人らに初めて遺言公正証書のコピーが配付された。

6  被控訴人らは、遺言書のコピーが配付されるまでは、遺言の内容を知らず、自分達が家業を継げるよう当然自分たちに有利な遺言がされたと信じられていた。そこで、自転車、バイクの修理・販売業の事業の主体がC郎であることを前提として、C郎に対して事業等用に貸した金がある旨説明するとともに、自発的に本件の現金や預金通帳等を提出したものである。(≪証拠省略≫)。

7  ところが、前記のように、被控訴人らは、遺言の内容が自分たちにとって有利なものでないことを知り、被控訴人らの期待は裏切られた。

8  控訴人は、被控訴人側から受領した前記預金通帳上の預金を解約し、現金化するとともに、遺言執行の一環として、被控訴人に対し、メーカーから買い取った自転車、バイク等の商品(時価約五〇万円)の買取り方を求めた。しかし、被控訴人は、態度を変え、右商品は自己の所有に属するとしてそれを拒否するに至った。

被控訴人の昭和六三年一一月八日付けの遺言執行者あての手紙では、「店は一応C郎の名前であったが、実質は被控訴人が事業者であって、店の商品は自分が買ったものであった。」旨述べて、商品は自分が買ったものであると主張し、その代わり、以前に被控訴人らが貸し付けたと主張した貸金については、返還してもらうのはおかしいことになるからなかったことにしてくれと述べている。しかしながら、右手紙においては、既に控訴人に引き渡した現金及び預金については何ら触れられていない。

9  控訴人は、平成元年三月、被控訴人を被告として、事業の主体はあくまでC郎であったと主張して、前記商品の引渡しを求める訴えを提起した。

10  右訴訟の第一審においては、被控訴人は事業の管理運営をC郎から委託されていたにすぎず、事業の主体は依然C郎であったと認定されて、控訴人が勝訴した。しかし、第二審においては、C郎は昭和五四年に事業から手を引き、以後控訴人がその責任において業務を行っていたと認定され、被控訴人が勝訴した。もっとも、右第二審判決においては、本件預金等の帰属につき正面から認定されてはいない(C郎名義で預金していることは、経営の主体が被控訴人になったとの認定を左右するものではないといういいかたがされているにすぎない。)。

11  控訴人は、被控訴人以外の相続人と相談の上、遺産の分配を速やかに行うため、あえて上告せず、右第二審判決は平成三年七月一一日確定した。

12  なお、被控訴人は、前記訴訟中での尋問において、本件の現金、預金等は被控訴人のものである旨供述しているが、それ以上に反訴ないし別訴の形でその返還を求めることまではしなかった。また、前記判決確定後も現金や預金の返還を請求することは特にしなかった。

13  控訴人は、前記裁判の終了により、遺言執行の準備が完了したので、東京家庭裁判所に対し、報酬額決定の審判の申立てを行ったところ、同年九月九日、報酬額決定の審判が出された。

14  そこで、控訴人は、平成三年九月一七日、遺産たる現金の総額(現金の形で受領したもの及び預金を解約して現金化したもの。)から報酬額を差し引いた残余の現金を、遺言公正証書に定められた割合で、来る九月二四日に配分する旨の通知を、各相続人及び受遺者に発した。

15  そして、控訴人は、右通知に従い、平成三年九月二四日、遺産たる現金を各相続人及び受遺者に配分する手続をしたが、当日、F平から控訴人の事務所あてに、電話で、分配される金の受領は拒否する、供託してほしい旨の電話があり、結局、被控訴人らは分配されるべき金員を受け取りに来なかったので、同人らに配分すべき金員は供託された。

16  被控訴人が内容証明郵便をもって本件現金・預金の返還を請求したのは平成四年一月になってからである。

なお、5の認定に関し、被控訴人は、控訴人が店の財産を示せといったので、C郎の財産という趣旨ではなく店の財産という意味で現金や預金通帳等を交付した旨供述するが、被控訴人はあくまでC郎の遺言執行者の身分を示して財産調査を依頼したのであって(この点は被控訴人本人も認めるところである≪証拠省略≫。)、C郎の財産調査であることは被控訴人にも当然分かっていたはずである。被控訴人のいうように、C郎の財産としてではなく、単なる店の財産として商品や現金を提示したとは到底信じ難い。むしろ、被控訴人らは、前記のように、当初は遺言の内容が自分に有利であると期待していたため、事業の主体がC郎であることを前提としてC郎に対する貸金があることを主張するとともに、自発的にC郎の財産として現金や預金通帳を差し出して協力したが、遺言内容が期待に反するものであったため、途中から態度を変えたものと認めるのが相当である。

以上の認定によると、遺言執行者である控訴人としては、相続人の一人である被控訴人側から自発的にいったんはC郎の遺産として本件現金、預金通帳の交付を受けた以上、特段のことがない限り、これを遺産として処理すべきであったといえるのである。

しかも、本件の現金や預金が被控訴人のものか、それともC郎の遺産を構成するかの判断は、以下のとおり、微妙であって、これをC郎の遺産でないと断定することもなかなか困難な事案であったのである。すなわち、本件では、自転車、バイクの修理販売の事業を昭和五四年ころから実質的に切り盛りしていたのが被控訴人親子であったことは確かであるが、C郎が被控訴人に対し、当時の時点で明示的に事業用の資産や営業権等を譲渡する旨意思表示をしたわけではなく、むしろ、F平の妻らにむかっては、死んだらF平に譲ると述べていたという事実があるのである。そして、昭和五四年以降も、税務上はC郎を事業主として所得税申告がされ、事業用の預金通帳の名義もC郎名義のままであった。C郎自身も、事業を被控訴人に譲ったという意識がなかったから、事業用の商品等を含めて配分を定める内容の遺言公正証書が作成されたものと推認される。そして、被控訴人自身も、C郎の死亡当初は、本件現金や預金をC郎の遺産として遺言執行者に交付しており、むしろ遺言で自分達が事業を引き継げるように有利に取り扱われていることを期待していた節があるのである。このような点からすると、昭和五四年以降もC郎が依然事業の主体で、被控訴人らは単にその補助者として事実上営業を任されていたにすぎないとみる余地も充分あるといえる。もっとも、別件訴訟の確定判決においては、昭和五四年にC郎は引退し、被控訴人が事業の主体になったという判断がされている。右判断を前提とすると、本件現金及び預金についてもC郎のものでないという判断がされる可能性が高いといえる。しかし、別件訴訟と本件とではその対象が異なり、しかも、右判断は理由中の判断にすぎないから、別件訴訟の判決中の右判断が本件に何らかの法的な拘束力を及ぼすとはいえない。しかも、昭和五四年段階でみると、本件事業の収支計算上C郎の元入金が五二六万円余あったことが認められる(≪証拠省略≫)ところ、右元入金が被控訴人に贈与されたとか被控訴人とC郎との間で清算処理されたと認める明確な証拠もないのであるから、別件判決の前記判断に従ったとしても、預金等に関しては、なおこれをC郎のものであったと見る余地がないとはいえないのである。

このように判断が微妙な事案であったのである上、そもそも現金や預金がだれに帰属するかは純粋の民事上の問題であって、それについて権利を主張するか否かは利害関係を有する当事者の意思に任されているというべきであるから(利害関係を有する者が積極的に自己の権利を主張しない場合、通常、権利がないものとみて処理すれば足りるというべきである。)、本件で被控訴人がどう主張し、行動したかが重要であるところ、被控訴人は、時価五〇万円程度にすぎない商品については自分のものであると主張してその引渡しを拒み、訴訟で争いながら、三〇〇万円を超える本件現金及び預金については、積極的に返還を求めず(被控訴人が真摯に自分の権利を主張しようと考えるならば、別件訴訟においてその返還を求めて反訴を提起するなどの措置をとるのが普通であると考えられる。)、また、別件訴訟の判決確定後控訴人が遺産の配分手続をとるまで二箇月以上余裕があったのに、その間も特に返還を求めることをせず、そのまま漫然放置していたのである。

こういった点を総合考慮すると、遺言執行者である控訴人として、被控訴人は本件現金及び預金を遺産として処理することに特段異議がないと判断し、これを遺産に含めて遺産配分の手続をとったことは相当であったというべきであって(被控訴人から特段返還請求も出ていないのに、遺言執行者の方でこれを一方的に遺産でないと判断し、被控訴人に返還したとすれば、逆に遺言を執行すべき者としての義務に違反するとされるおそれさえ出てこよう。)、控訴人に遺言執行者として注意義務を怠った過失があり、その行為が不法行為を構成するとは到底いえないというべきである。

なお、控訴人が遺産の配分通知をした後、被控訴人側から電話で自分達に配分されるべき金員の受領を拒否する旨通告があったという事実もあるが、これについても、前記のように、右通知から配分の日まで一週間近くあったのに、被控訴人は配分の当日まで何ら措置もとらず、当日になって、電話で、配分される金員は受け取れないとしてこれを供託するよう求めたにすぎなかったのであるから、控訴人が、右電話にもかかわらず、被控訴人は本件現金及び預金の遺産性を真摯に争う意思はないと判断し、配分手続の続行を中止しなかったことは相当であったというべきであり(これまでの経緯からみて、被控訴人が真摯に争うつもりなら通知を受けた後直ちに配分差止めを求める内容証明郵便を出すなど自己の意思を明確な形で表明するのが普通であると考えられる。ところが、被控訴人が内容証明郵便を出して返還を求めたのは、平成四年一月六日になってからである。)、そこに過失があったとは認められず、右通告の故に本件で不法行為が成立するとは到底いえないというべきである。

そうすると、その余の点を判断するまでもなく、不法行為を根拠とする被控訴人の本件請求は理由がない。

四 結論

よって、被控訴人の控訴人に対する請求は棄却すべきであるから、これと異なる原判決を取り消し、被控訴人の請求を棄却する

(裁判長裁判官 宍戸達德 裁判官 大坪丘 福島節男)

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